人たらし

7th water Lily /くぼきょうへい

4/9

きょんぺ

   4/8  1st single『now-i-see』 digital release👏

 

ついに昨日「きょんぺ」としての音源をデジタルリリース出来ました🙇バンドというブランドから外れて、音源を出したり音楽活動をするということは、バンドをしていた時よりも更に曲のクオリティー然り個人としての力強さが必要になること、重々承知です。それでもまた自分を試してみたいと思いました。バンド時代に吐いた言葉、写真、記憶に残るものはある程度消去しました。これから作る音楽の中でバンド時代の片鱗を残したい。もしかしたら随分と違うものに聴こえるかもしれないけれど、自分にとっては自分らしさが詰まっているような気がしています。早くライブできるように、また会えるように、お力添えお願いします!!

 

2023

2023年が来た。じゃなくて2023年を迎えたと敢えて今年は思う。今年が特別で、、とか今年こそは、、とかは大の苦手なので言いませんし、聞かれても話を逸らしてしまうこの人間性のままでいます。おそらく、イベントが好きでは無い根暗っぷりです。と、言いながらも実は今年中に「いつかしたい」と思っていたことをすることにしました。自分の気持ちをすらすらと話すことや、伝えることが特別上手いわけでもないけれど、自分を表現できる作品を作ることは好きです。そこは内向的な気持ちの巣窟だけど、外交的になれるほど誇らしいものでありたい。きっと誰かに寄り添えることは幸せなんだろうなあ〜。知らない誰かを大切に思うほど心の器は大きく無いけれど、僕のそれが誰かの心を作れたとしたら、その誰かは大切にしたい。こんな文章が綺麗事だと言われるぐらい批判された時に見つめていたい心を、その誰かに渡せるようになりたいです〜

消費と浪費

気付けば僕らは時間を消費していく生活に慣れていた。なんとなく時間が過ぎていくのを待っているような、この時間の必要性を感じれなくなっていた。思い出したかのようにせかせかと洗濯物を取り込む自分が鏡に写って、ちょっと太ったなと心の中で言う。昔知人から教わった服を早く綺麗に畳む方法とやらを今でも採用している。綺麗に畳めなくても、まとまってさえくれれば何も問題はない。畳終わったら何をしようと考えていると畳終わってしまって、世界を美しいと思うには随分と諦めてしまったんだなあと気付く。夕方と夜の狭間に出会った時、あの時はいつだって美しくて、どこがずっと切ない。夕方の空気はひんやりとしていて、いつも誰かを思い出す。また会いたい人。こんなに冷たい空気をあなたも感じていますか?こんなに冷たい空気に気付かないような、僕が嫉妬してしまうぐらいの満たされた生活ですか?たくさんの行き先がある中で、行き着いた先を間に受けては、だいたいみんなこうでしょ?と、これでいいんでしょ?と、胸を張る。自分に言い聞かせて進んだあの別れ道の選ばなかった先で、あなたが大人になるその日々の季節を感じたかった。

僕は僕の人生を美しいと思う為に、浪費する人生を歩もうと思う。

「高嶺で会おや」

大学を卒業してから約半年後に自分のバンドを始めた。周りに合わせて就職活動をしている自分に対してそう違和感はなかった。それが義務教育の成果なんだと思う。昔から「他人と違うこと」を他人以上に恐れてしまう。小学生低学年の頃、国語の授業の冒頭に「教科書の〜ページを開いて」と言う担任の言葉を聞き流してしまったことがある。隣の席の子が開いているページを必死に覗き見したが、なんとなく見えなかった。それだけで冷や汗が止まらなくなった。もしここで「じゃあ〜、一段落目から久保くん呼んで下さい」なんて言われたら、、なんて言われたら、みんなができていることができない奴だと思われる。みんなと違うと思われる。と思うと、もうここから消えたいぐらい恐ろしかった。中学年になると、サッカーを習っている友達が周りに多かったからサッカーを習いたいと言ったし、高学年になると周りに合わせて塾に通わせてくれと両親にお願いした。そんな自分が周りに合わせて就職活動をすることなんて、何も苦になる要素がなかった。むしろしないほうが苦になっていたと思う。だが、疑心感があった。自分のやりたいこと。自分がこれから生きていく為に、食っていく為にする仕事。定年まで働き続ける人生の一つ目の仕事。自分で決めなければならない。もうこの先は誰も同じ人なんていない。隣にいる奴の真似をしておけばいいは通用しない。というより、隣の奴がいるかどうかも定かではない。自分ができること、ではなく自分がしたいこと。考えた先にあったのが「バンド」だった。誰かと同じようにしていて得られる安心はここで終わりなんだと、実は浪人していた時からわかっていた。誰かと同じように過ごし続けられる訳なんてないのが人生なんだと、あの時すでに気づいていた。孤独な一年だったけれど、あの日々を乗り越えて大学に入学してから4年後、何とかこの先ジジイになってもたまには会いたいと思う友達もできたからなんとなく自信があった、自分という人生を隣を見ずに生きてみたいと思った。そうして始めたバンド。まるで売り出しポイントかのように宣伝した「ドラムボーカル」はドラムしかできる楽器がないから仕方なくそうしていた。なかなか信用してもらえるメンバーが見つからずお願いしてなんとか友達をメンバーにした。ずっとコピーバンドを一緒にしていたメンバーだから、活動は気持ちいいぐらいに楽に進んだし、自分の考えとか、言葉とか、曲にある裏側のテーマを理解してもらうことに関して苦労することがほとんどなかった。と思っていたが、本当は自分自身が彼らに対して向けていた信頼によって、そうさせていたのかもしれない。やっと少しずつお客さんが出来て、顔を覚えたり、遠征だのなんだの話しているうちにコロナ禍に直面。彼らは自分の人生を歩む決断をした。だけど感謝の気持ちが大きかった。いいスタートダッシュをさせてくれた。メンバー脱退の発表前に3人で居酒屋にいた。たわいない話から始まって気づけばお互いの将来の話をしていた気がする。これからどうするなんて話はありきたりだけど、好きだ。これからどうにでもなれるなんて待ち遠しいような未来。帰り際、あいつが言い残した。

「高嶺で会おや」

 

あれから丸2年半が経った。バンドもやめて社会人になった。お金が全くないようなあの時の自分達には考えられないぐらい余裕がある人生を送っている。それでも考えるのは、自分にとって「高嶺」とはどこにあるのかということ。今の自分はどこを「高嶺」と思っているんだろうか。仕事を辞めたいなんて思ったことがなくて、ただ自分の目指すものは何なのだろうと考えていたりする。素晴らしいことに昔は隣の芝しか見えなかったけれど今じゃsnsで誰かのそれ、もしくはそれへの道のりを見ることができる。誰でもない誰かに嫉妬したり、ゴマを擦ったり、あるいは真似しながら人生は進む。進むたびに道は枝を作って、それを折ることができない。でも本当に怖いのは、もし誰かの高嶺を自分と照らして欲しくなって手に入れたとしても、それが自分の高嶺じゃないと気づいてしまった時のこと。誰かとして生きてしまったと、生きた後に気づくこと。バンドをしていた時はほとんど会わなかったが、解散してからは頻繁に会うようになったあいつら。今はまたあまり会わなくなった。数ヶ月の寄り道。ほなまた、高嶺で会おや。

9/27

順調に毎日忙しく働いている。長袖のシャツを着て働き出した頃からまた長袖を着るようになった。時間が過ぎるのは日に日にとても早く感じるし、夏が暑いからなんだって思っていた。少しだけたくさん昔よりお金があって、使い古した服を捨てることができた。27歳になったから。ではなくて27歳にまでなっていたんだと思った。やりたいことをやり続ける為にやらなくてはならなかったことがやりたいわけじゃなかったことをしていて垣間見えた。今思えば、惜しいこともやり残していることもあって、それをずっと見つめているとなんとなく間違っていなかったと思った。間違っていたと思ったこともなかった。しみじみ自分が下した選択は間違っていなかったと思う。これでよかったんだ。は、これが良かったんだ。へ。なんて強がりなのかもしれない。でも強がりじゃないぐらいの自信がある。

また届くだろうか。ではない。

これは届くだろう。

8/31

親戚が亡くなった連絡を受ける。膵臓癌だった。俺は多分明日泣くことはないだろう。親戚と言っても、かなりの間会っていなかったし、今までお疲れ様でした。と思うぐらいなんだろう。大人な対応を落ち着いてしている自分が浮かぶ。でも大人になったからそうできる訳ではない。父親や母親、兄弟が死んだら泣きじゃくる気がする。もし結婚して、自分のお嫁さんが死んだらもう生きる意味を無くすんじゃないかと思う。でも多分それは寂しいから泣くんじゃなくて、もっと自分がその人を幸せにしてあげれたんじゃないかと思って泣いてしまうんだろう。泣く理由は寂しいからじゃない。後悔だ。今までたくさん泣いてきた。痛くて泣いた日も、寂しくて泣いた日も、つらくて泣いた日も、もちろんある。けれど。もうそんなことで泣かなくなった。その傷はもう慣れてしまった。唯一まだ子供のように、赤児のように泣き喚いて世界の終わりかと言われるほど癇癪を起こしてしまう時は、後悔している時だけだ。彼女と別れて泣いたのは、俺がもっと幸せにしたかったからだ。目に見えない傷を知っている俺が、それも全部含めて愛したかったからだ。ここにいればもう傷つく必要はないとわかってほしかったからだ。できなかったから泣くんだ。いや、できていたつもりなのに振り返ると不甲斐ないからだ。

明日、叔父は泣くのだろうか。

大切な人が亡くなっても泣かずにいられる人生は、どれだけ愛のある人生なのだろうか。どれだけ後悔せず向き合えたのだろうか。

人生はきっと生きているだけで傷だらで、それでも人を愛したいのは、傷ついた分だけ後悔を知っているからだ。

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凝り固まった考え達が解けてきた最近は、ずっと「幸せとは」の答えを定義しようとしていた自分を客観的に思い出しています。街を歩けば美女と歩くブランド物とハード目なワックスで固められた雨の日の匂いを知らなさそうな連中とすれ違って、Twitterを覗けば整形やお金、まるでこっちが騙してやったと言わんばかりに自分の価値を見失った自虐、もしくは宗教や教祖にでもなりたいのかと思うぐらいに肯定的な「いつやるの?今でしょ」を擦った仕事に検討も付かない胡散草男。ペットショップには体に合わないケースの中で何千個と対面した目玉の暗さを知った犬と猫がいるし、結婚しても同じ墓に入りたくないと考える主婦だって存在する。世の中には沢山の裏切りがあって、希望があって、信用があって、涙があった。絶望からは目を背けるように生きていても、絶望は希望の中にあったし、不幸は幸せの中にあった。幸せの形はそれぞれだったし「どの幸せを選ぼうか」なんて考えることは自分の首を絞めた。きっと、幸せになりたいのなら幸せを作らなくてはならないと思った。あいつの幸せを自分がしたところで、自分が幸せになれるわけがないのに、自分はあの子みたいに、あいつみたいにと考えていた。やっと抜け出せそうだ。探さず、晒さず、悟れることへ向かう。