人たらし

7th water Lily /くぼきょうへい

桜とサクラ

桜並木の脇には何十台かの車が縦列駐車されていた。そこに60分パーキングがあるかのように、枠が見える程に綺麗に並ばされている車達の中で、数台に一台、まあ、三台に一台のペースで駐車違反の黄色い札が貼られている。それを横目に運転しながら、駐車場に車を停めようと考える人とその縦列駐車の隙間を埋める人とで別れていく。世間体で言えば、違法駐車は交通違反になるのだから、駐車禁止エリアに車を停めることはいけないことである。正しくない行いである。だけど、その犯罪は警察にバレなければ、駐車違反取締りのおじさんに見つからなければ、もっと言えば黄色い紙が貼られなければ、何も罰をもらうことはない。言わば、違反としてカウントされない。もしカウントされないのであれば、これは世間体の話とは別にして、自分にとって正しい判断になっているだろう。なんだか少し偏った考えかもしれない。信号で言えば車が通っていないタイミングで赤信号を渡るのと同じだ。バレなければ違反にならない。その一つの信号を無視したことで、あなたの大切な行先に遅れることなく間に合うことができたならば、あなたにとって正しい選択をしたのだろう。ここからは憶測なんだけれど、人はみんな「バレなければいい」でやり過ごしている。バレないように、気づかれないように、知られないように、そうやって表の顔を守って過ごしている。全てを隠すことは出来ないから、本当にバレたくないと言うか、バレると面倒なあいつには隠して、バレてもいいと感じるあの子とか、一緒に隠してくれるその子に裏の顔を見せる。言わば手を繋いで信号無視をするようなことだ。僕らはどうしてしてはいけないことをしたくなってしまうのだろうか。僕らはどうしてしてはいけないと話す人を煙たがってしまうのだろうか。僕らはどうして1番大切と誓った相手に1番多く嘘をつくのだろうか。僕はどっちのあなたといることが幸せなのだろうか。僕はどっちの自分とあなたを会わせたいのだろうか。

桜並木を歩くとある人は花びらを拾って掌に載せてくれた。またある人は花びらを踏んづけて僕の顔を覗いた。どっちの君が嘘をついているのか僕にはわからなかった。