人たらし

7th water Lily /くぼきょうへい

解散について

2/27日21時に7th Water Lily解散の発表をしました。まず応援してくれていた方々、並びにお世話になった関係者の方々、本当にありがとうございました。ライブキャンセルをしてしまったライブハウスの方々、申し訳ありません。どうしてもライブをする気になれずキャンセルしました。セオリー通りというか、常識的に出演すると返事をしたにもかかわらず自分達の気持ち、モチベーション、勝手な未来像からキャンセルに至ったことは間違っていると思っています。申し訳ありません。取り置きをして下さっていたお客さんも申し訳ないです。

 

ここからは自分の気持ちを書きます。

解散を言い出したのは僕です。理由は7th Water Lilyの今後を考えた時に未来が全く見えなくなったということ。口にして言わなかったけれど、誰よりも自分は音楽を業にしたかった人間です。少し前まで、7th Water Lilyは、自分は、将来武道館でライブをする人間だとまじで思っていていました。そこまで可能性がある曲を書いているつもりだったし、他のバンドマンもそうだと思っています。「この曲を耳にしたら誰もが虜になるだろう。全員が全員良いと言わなくても、曲によっては少なくても100人いて1人良いと言う曲だとして日本の人口が1億2千人だから100万人が良いと思うのならそんな曲もありだろう。」そう考えれる曲以外は没にしていたつもりです。でもライブハウスで100人に聴いてもらうなんて難しすぎる世界。ガラガラのライブハウスでライブをする。これもいつか、いつかあの経験があったから今の自分達がいるんだ!と言えるまで続ける。その美学を否定したいわけではないです。そこにある美学に惹かれていた自分がもちろんいました。だけど、だとしたらライブハウスで100人に聴いてもらえるようになるまで、その為に何ができるか、何をすれば良いのか、何がいま不必要なのか、それを考えるようになった時に、ライブが不必要なんじゃないかと思うようになりました。というよりまだ、ライブをするだけの力がないんじゃないかと思いました。その考えが浮かんだ時点でバンドマン失格だとも自分で思いました。ライブとは何なのか、僕はバンドにとって種まきだと思います。音楽という種を撒いて、それを拾ってくれた誰かが持ち帰って心の中で芽が出た頃にまた思い出してくれる。その芽を持ってライブハウスにまた会いにいてくれる。大きく育ててくれる。持ち帰ってもらえなかった種はライブハウスで芽を出してまたその芽に音楽という水を僕らが与えに行く。その繰り返しをしているような感覚です。どれだけガラガラでもそこに鳴らしに行くことに間違いなく意味がある。今もそう思っています。そしてこれをする傍らで自分の生活をしていくこと、飯食って、恋愛して、曲作って、スタジオ入って。遊ぶ時間も金もない。自分の生活はずっと苦しい。最高に楽しい打ち上げも次の日の朝空っぽの財布を見て絶望に変わっていました。でもこれはバンドマン全員が経験していることです。それでも自分達の曲を信じて、毎日バイト戦士してライブの日はライブハウスで人の心動かしにいく。それが生き甲斐で、それをやり続ける。俺にはそれができなかったんだと思います。「誰かの生活の1シーンで流れる曲を歌いたい」何度もmcで自分が叫んだ言葉。その裏で崩れ行く自分の今の生活。この生活を捨てて音楽をする。ライブをする。7th Water Lilyをする。その決断が自分はできなかったです。ライブが、音楽が、みんなの生活の一部であるように、自分も音楽を生活の一部として楽しみたい。この言葉は、音楽が人生だと思っている人たちに反感をかうと思います。それ承知で言っています。僕は「音楽で生活を支える人生」を目指すことを辞めます。だから7th Water Lilyを解散することにしました。ありがとうございました。これからは自分が楽しめるように音楽を作ろうと思います!もしよかったら聴いて下さいね。沢山会いに来てくれた人たち本当にありがとう!馬鹿みたいに会いに来てくれるみんなの顔浮かべて泣いてる日もありました!お互いの生活頑張ろうね、幸せになろう!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ps...

何でサブスク解禁したツイートのいいねより解散ツイートの方がいいね多いねん。バンドブランドでただ便乗してるクソに聴かせる音楽はない!!!一生ここにも来んなよハゲタコ〜(粗品風)☺️ 一回見てみたかったとか言うてるボケはバンド舐めんな!いつまでも続くと思うなよ〜、と思うけどそこまで思うほど追い詰めてしまったから辞めさせて下さい。聴いて欲しかったよほんまに、、会いたかったです😭

これから先は久保恭平としての音楽、やってみます。最後まで読んでくれてありがと!