人たらし

7th water Lily /くぼきょうへい

「高嶺で会おや」

大学を卒業してから約半年後に自分のバンドを始めた。周りに合わせて就職活動をしている自分に対してそう違和感はなかった。それが義務教育の成果なんだと思う。昔から「他人と違うこと」を他人以上に恐れてしまう。小学生低学年の頃、国語の授業の冒頭に「教科書の〜ページを開いて」と言う担任の言葉を聞き流してしまったことがある。隣の席の子が開いているページを必死に覗き見したが、なんとなく見えなかった。それだけで冷や汗が止まらなくなった。もしここで「じゃあ〜、一段落目から久保くん呼んで下さい」なんて言われたら、、なんて言われたら、みんなができていることができない奴だと思われる。みんなと違うと思われる。と思うと、もうここから消えたいぐらい恐ろしかった。中学年になると、サッカーを習っている友達が周りに多かったからサッカーを習いたいと言ったし、高学年になると周りに合わせて塾に通わせてくれと両親にお願いした。そんな自分が周りに合わせて就職活動をすることなんて、何も苦になる要素がなかった。むしろしないほうが苦になっていたと思う。だが、疑心感があった。自分のやりたいこと。自分がこれから生きていく為に、食っていく為にする仕事。定年まで働き続ける人生の一つ目の仕事。自分で決めなければならない。もうこの先は誰も同じ人なんていない。隣にいる奴の真似をしておけばいいは通用しない。というより、隣の奴がいるかどうかも定かではない。自分ができること、ではなく自分がしたいこと。考えた先にあったのが「バンド」だった。誰かと同じようにしていて得られる安心はここで終わりなんだと、実は浪人していた時からわかっていた。誰かと同じように過ごし続けられる訳なんてないのが人生なんだと、あの時すでに気づいていた。孤独な一年だったけれど、あの日々を乗り越えて大学に入学してから4年後、何とかこの先ジジイになってもたまには会いたいと思う友達もできたからなんとなく自信があった、自分という人生を隣を見ずに生きてみたいと思った。そうして始めたバンド。まるで売り出しポイントかのように宣伝した「ドラムボーカル」はドラムしかできる楽器がないから仕方なくそうしていた。なかなか信用してもらえるメンバーが見つからずお願いしてなんとか友達をメンバーにした。ずっとコピーバンドを一緒にしていたメンバーだから、活動は気持ちいいぐらいに楽に進んだし、自分の考えとか、言葉とか、曲にある裏側のテーマを理解してもらうことに関して苦労することがほとんどなかった。と思っていたが、本当は自分自身が彼らに対して向けていた信頼によって、そうさせていたのかもしれない。やっと少しずつお客さんが出来て、顔を覚えたり、遠征だのなんだの話しているうちにコロナ禍に直面。彼らは自分の人生を歩む決断をした。だけど感謝の気持ちが大きかった。いいスタートダッシュをさせてくれた。メンバー脱退の発表前に3人で居酒屋にいた。たわいない話から始まって気づけばお互いの将来の話をしていた気がする。これからどうするなんて話はありきたりだけど、好きだ。これからどうにでもなれるなんて待ち遠しいような未来。帰り際、あいつが言い残した。

「高嶺で会おや」

 

あれから丸2年半が経った。バンドもやめて社会人になった。お金が全くないようなあの時の自分達には考えられないぐらい余裕がある人生を送っている。それでも考えるのは、自分にとって「高嶺」とはどこにあるのかということ。今の自分はどこを「高嶺」と思っているんだろうか。仕事を辞めたいなんて思ったことがなくて、ただ自分の目指すものは何なのだろうと考えていたりする。素晴らしいことに昔は隣の芝しか見えなかったけれど今じゃsnsで誰かのそれ、もしくはそれへの道のりを見ることができる。誰でもない誰かに嫉妬したり、ゴマを擦ったり、あるいは真似しながら人生は進む。進むたびに道は枝を作って、それを折ることができない。でも本当に怖いのは、もし誰かの高嶺を自分と照らして欲しくなって手に入れたとしても、それが自分の高嶺じゃないと気づいてしまった時のこと。誰かとして生きてしまったと、生きた後に気づくこと。バンドをしていた時はほとんど会わなかったが、解散してからは頻繁に会うようになったあいつら。今はまたあまり会わなくなった。数ヶ月の寄り道。ほなまた、高嶺で会おや。